一般論に逆張りしている意見はかっこいい。
しかも、一般論には
「無知で頭の悪い大衆を操るための情報操作の賜物」
という側面があるから、
実際逆張り意見の方が考え込まれている可能性が高い。
ただ、高二病で逆張りしているだけの場合も存在するので、
逆張りの逆張りの逆張り、
という状況の意見が一番良い。
例えば
一般論
人が死んだら追悼の意を表するべきだ
↓
逆張り
自分に関係ない人の追悼の意とか、偽善かよw
↓
その逆張り
大人になってまでまだそんなこと言ってんのか?遺族の悲しみが想像できないんだな
↓
最終的逆張り
自分に関係ない人の追悼の意を無闇矢鱈に表するのは思いの強い人の反感を買うのでやめるべき
みたいな感じだろうか。
あくまで今考えた一例だけど。
そういう意味で、正しい意見に出会うためには
はてなブックマークのコメント欄が一番良い。
そもそも現在、増田の投稿自体が 一般論の逆張りの逆張りであることが多い。
すると、それに付くコメントの中には必ず逆張り意見があるので、
前述の逆張りの逆張りの逆張りという正しい(とわさらーが思い込んでいる)意見が現れやすい。
昔は単なる一般論の逆張りのみの投稿がネットには多かったのだが、
今は「一般論の逆張り」が「はてなの中での一般論」になってきたので、それに対する逆張りの方がみんなに注目される。
だからそういう記事が増えている。
ちなみにTwitterはまだ一般論の逆張りが評価される土壌だ。子供が多いため。
そもそも一般論は
その論調でいけば一応全体が丸く収まるということだ。
本来、正しい意見に近いといえる。
しかしここで問題なのは、理由もわからずただただ周りに流されてその論調を推し進めている人間がほとんどというところだ。
そうすると論理的、倫理的、道徳的正しさがスキップされて間違った運用をされていることが少なくない。
そこに一矢報いるのが逆張り意見。
なるほど、そういう考え方もあるな。と思わせる。
しかしあくまで少数意見。
少数の方が正しいということは下記をおいてない。
下記とは、
「教養のある、普段から勉強をしているエリート層の人間」 VS 「一般大衆」
の場合である。
一般大衆の逆張りには正しい意見は少ない。(前述で一般論よりは考えられていると書いたことと多少矛盾してしまうかもしれないが)
ところが、教養のある人間は時間もなく忙しいのでわざわざ一般論に刃向かう意見を考えようとも、表現しようとも思わない。
世の中には、一般大衆から生まれた高二病的 逆張りの方が数が多い。
すると、ここからは教養パーソンが登場する前段階として、
とにかく穿った見方をしたがるネット民、はてな民の出番だ。
一般大衆からの逆張りには、論理的矛盾が多い。
そこを、増田で突く!!
どうだ!まいったか!!一般論が結局正しいんだよ!!
するとその論理はある程度議論が進んだ命題となる。
教養パーソンはここにきてついに反応する。
お、一般大衆の意見と逆張り意見がこう出ているのか。
しかし、真理はこうだ。教えてやるか。
教養パーソンがその増田のコメントに真理を書き込む。
真理に到達する!
以上